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プミポン国王の逝去とタイ

by ヤマモト ケイスケ


2016年10月13日タイ国王ラーマ9世ことプーミポンアドゥンラヤデート氏が逝去されました。

享年88歳。

プミポン国王の逝去にタイ全体が大きな悲しみに包まれています。

バンコクでその雰囲気を強烈に感じました。


ープミポン国王とはー
1927年アメリカのマサチューセッツ州で父「ベートアドゥンラヤデートウィクロム」、母「シーナカリン」の元に産まれます。

少年時代、スイスのローザンヌ大学で学業を修め第二次世界大戦終結後の1945年に大学を休学しタイへ帰国。

翌年に前国王ラーマ8世(プミポン国王の兄)が逝去されたため、19歳にしてタイ国王に即位。

その後ローザンヌ大学へ復帰し1952年に帰国。


↑1000BT 紙幣のプミポン国王の肖像画とプミポン国王の写真(ネットより)


ー国王時代ー

・1992年「暗黒の5月事件」
軍を手に入れたスチンダー氏がクーデターを起こし、首相になる。
これに反発した国民が抗議デモを起こし、軍の鎮圧によって300人の死者が出た事件。

この際プミポン国王はスチンダー氏と民間の指導者であるチャムロン氏を呼び、「そんな事で国民のためになると思うか、双方ともいい加減にせよ」と叱り、一夜で騒動を沈静化させました。


・2003年「カンボジアとの関係悪化」
タイ女優のカンボジアに対する不謹慎発言にカンボジア国民のが激怒

カンボジアのタイ大使館に3000人が押し寄せ火を放ったり、国王の肖像画を踏みつけたりする事件が起きた。

これに対しタイ国民も激怒。カンボジア大使館に500人が集まり火を放ったりカンボジア国旗を燃やすなどの報復行動をとった。

この際プミポン国王は「悪党の行動に反応してはならない。」と国民に告げ事態は沈静化

後に事件の元となったカンボジアでの「タイ女優の不謹慎発言」も雑誌のデマであったことが発覚。
関係者150人が逮捕されるも無事に収束しました。

この他にもプミポン国王はタイの発展と平和の為に精励され、タイ国民から絶対的な信頼と尊敬、そして愛される国王となったのです。


↑左から若き日のプミポン国王・スチンダー氏とチャムロン氏を呼び寄せて叱りつけるプミポン国王
プミポン国王とシリキット王妃(ネットより)


ー国民の悲しみー
・当日(10月13日)
ちょうどサイアム(バンコクの中心地)にいた際にサイアムスクエアの電光掲示板の前に3〜40人の人だかりが出来ていました。

内容は国王の逝去を知らせるニュース。
普段立ち止まって見ている人なんていない掲示板にあれだけの人だかりが出来ているだけで驚きでした。


↑当日人だかりのできていた掲示板の数日後の様子

・翌日
スナップ撮影をしているとはっきりとわかるのですが、殆どの人が白か黒の洋服を着ています。

普段あんなに派手な服装なのにです。街中異様なほどものくろ。

この日から街中のお店で国王の写真、肖像画が設置され、鯨幕が貼られ、祭壇を設置する準備がされます。

街の派手なネオンは消され、大きい音楽も自粛。

お酒の販売が禁止され、夜の飲み屋も閉まっているところが多いです。

一般のお店もこの日は休みのところがかなり多いです。
(大きなショッピングモールやコンビニは営業しています。)

↑Weekend Marketの入り口にも鯨幕・Terminal21の入り口にも祭壇が設置


・翌々日
変わらず街中はものくろ。だいたいの場所で祭壇の設置が完了し、通る人達が手を合わせていきます。

街中の電光掲示板は国王の逝去を悼む内容のものになっています。

そして、国王の逝去から一年間、タイでの結婚は禁止になるそうです。

↑Siam Discoveryの中の祭壇とAsiatique the riverfront前に設置された祭壇

外国人である僕から見てもこの変化ははっきりとわかるし、プミポン国王がどれだけ国民から愛され慕われていたかを痛感しました。

ご冥福をお祈りいたします。

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ヤマモト ケイスケ
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